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『台風23号』初日レポート|人間の心の中に吹き荒れる暴風雨は天然自然を上回る

2024.10.15

※一部本編の内容に言及しています。

2024年10月5日土曜日。『台風23号』東京初日は断続的に雨が降る空模様で、夕暮れ時の雑踏は傘の花で彩られている。東急歌舞伎町タワーのビル内は、傘の花をはるかに上回る極彩色。その混沌を抜けて辿り着いた劇場の中には、長く、強い日差しと潮風にさらされ続けたであろう、色褪せた小さな家々が密集する海辺の町があった。
2014年の『殺風景』から始まったBunkamura×赤堀雅秋の創作。その6作目となる書下ろし『台風23号』が、THEATER MILANO-Zaでの赤堀作品初お目見えとなる。その幕は、力強く勇壮な和太鼓の響きと共に切って落とされた。

いまだ厳しい暑さが続く10月。感染症禍で中止が続いていた花火大会の久々の開催と、戦後最大規模の台風の上陸予報が重なり、その小さな海辺の町は揺れていた。
対応に追われる役所の職員(藤井 隆)。その妻(木村多江)は老いた実父(佐藤B作)を世話するため、介護ヘルパー(間宮祥太朗)のサポートを受けている。役所のはす向かいにある鄙びたスナックの女主人(秋山菜津子)は自分の病気を知らせて東京で暮らす娘(伊原六花)を呼び戻すが、大事な話を避けるように胡散臭い恋人(赤堀雅秋)との無益なやりとりを続ける。どこにでもありそうな、地方の平穏な町。だが実は、町ではペットの犬が毒殺される事件が続いており、警官(駒木根隆介)はパトロールに余念がない。そんな、暑さと閉塞感で息詰まる町なかを、配達員(森田 剛)は黙々と荷物を配達し続ける。


座り込む父親(佐藤B作)とその娘夫婦(木村多江、藤井 隆)。見守る介護ヘルパー(間宮祥太朗)。

 
スナックを営む母 (秋山菜津子)とその娘(伊原六花)


休息中の配達員(森田 剛)

近年の赤堀作品は劇中で、ドラマを展開させるためだけに都合良く事件や事故のような特殊な出来事を起こさぬよう、注意深く筆が進められているものが多い。『台風23号』でも、タイトルにもある「台風」と「ペット殺し」というインパクトの大きいトピックが最初から提示されているものの、人々の会話の中で語られることが全てで、物語の進行と共に掘り下げられていくのは登場人物たちの胸中に〝吹き荒れているもの〟だ。
仕事に振り回される徒労感、家族の間に降り積もるすれ違い、ご近所づき合いに漂う微かな不協和音、満たされない承認欲求、漠然とした不安、近しい人がいてもぬぐい切れない孤独……。9人の登場人物が心の奥深くに抱えるそれらの「歪み」は性別や年齢、職業に関係なく、今の日本で生きる私たち一人ひとりに身に覚えのあるものばかりだ。


パトロール中の警官(駒木根隆介)とスナックの主人(秋山菜津子)。

また、互いをよく知る間柄だからこそのことだが、配達員以外はそれぞれ個人名を持っている(警官も呼ばれるシーンがある)ものの、「ヘルパーさん」「ママさん」「お父さん」など肩書や続柄で呼ばれる場面が多いことも印象的。殊に連呼される「ヘルパーさん」からは、社会の属性に上書きされて個人が希薄になっていく、現代社会の無機的な残酷さがヒリヒリと伝わってくるようだ。
人間が、これほどまでに「(他者に)自分の存在を認めて欲しい」と渇望する世の中、そこにある孤独とは一体どのようなものなのか。まだ若い「ヘルパーさん」が追い詰められ、狂気を孕んで暴発する様は、間宮のエネルギッシュで鮮烈な演技も相まって、日々脳裏をよぎっては消えていた個人の孤立に関する問いを改めて突きつけてくる。
対照的に、冒頭は他者とのコミュニケーションに難ありの、危うい雰囲気をふんぷんと漂わせていた配達員が、家族との電話のやりとりなどを介して〝良き人〟の面を少しずつ見せていく過程も、森田の繊細な演技のグラデーションによって説得力のあるものになっていた。そんな、ドラマの進行につれて印象が逆のベクトルで変わっていく配達員と「ヘルパーさん」、その反比例関係の変様は今作の見どころのひとつだろう。

 
世間話を交わす配達員と介護ヘルパー。

さらに演技巧者ぞろいの出演陣は、どこにでもいそうな登場人物たちにそれぞれ絶妙のエッジを利かせる。老父の介護中心の日常に倦んで他者にすがりつこうとする主婦・木村、〝板挟みに苦しむ中間管理職〟然としながら世間に対して的確に毒を吐く市役所職員・藤井、女であり続ける母と何者でもない自分に苛立つ若い女・伊原、職務には役立ちそうもない愛敬と人の好さがにじむ警官・駒木根、日常の構成要素としてパチンコが何より重要らしいふざけたタクシー運転手・赤堀、人よりも豊かそうな人生経験が実生活に役だっていなさそうなスナックの女店主・秋山、そして自身の老いが受け入れられず周囲に当たり散らす老人・佐藤まで、舞台上には一部の隙もなく生々しいキャラクターが立ち上がり、行き交う。また、ともすればシリアスになり過ぎる卑近な人間関係を、赤堀が戯曲に散りばめた「笑い」の要素、それを的確に表現する俳優たちの演技や間合いが、程よく緩めてもくれる。結果、登場人物たちの振る舞いや吐く言葉はドラマが進むほどに観る者を強く引きつけ、「自分も同じようなことを喋り、しているのではないか……」という、自身の内面が急に明るく照らし出されたような羞恥と自虐的な快楽が、気づけば身の内に湧き起こっていた。

今作の最初に提示された、二つの大きなトピックの一つは終幕前に未然に終わり、一つは予想を上回る激しさで展開する。だが『台風23号』の最終景は、いくつかの問題を棚上げにするものの、この海辺の町に日常が戻ってきたことを示す。
季節変化によりもたらされる台風の暴風雨に比べ、はるかに多い頻度で人間の心の中に荒天は起こり、狂おしく吹き・降り荒れる。その脅威と、潜在的なエネルギーの大きさは天然自然に迫るうえ、台風一過というようにきりよく晴れ渡ることもほぼない。だからこそ人は、日常や生活にしがみつき、必死に自分を保ちながら一日一日を生きているのだ。
そんな、赤堀の人間に対する諦念を前提とした愛情が、配達員の最後の台詞に凝縮されているように感じた。
全ての登場人物、そのどこかに必ず、今の「あなた」が投影できる。『台風23号』はそんな稀有な体験のできる演劇だ。

Bunkamura Production 2024
台風23号

2024年10月5日(土)~10月27日(日)
お問合せ:Bunkamura 03-3477-3244<10:00~18:00>

公演詳細はこちら

文:尾上そら(Bunkamuraより提供)
撮影:宮川舞子

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